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最高裁判所第三小法廷 昭和42年(オ)346号 判決 1968年12月17日

上告人

椛沢金作

代理人

元林義治

被上告人

謝永

代理人

浅沼澄次

ほか三名

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人元林義治の上告理由について。

所論指摘の事実関係に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らして、肯認することができ、右認定判断の過程に何らの違法も存しない。そして、原審の確定した事実関係のもとにおいては、本件控訴につき民訴法一五九条の規定による追完を認めた原審の判断は、正当と認められる。原判決に所論の違法はなく、論旨は、すべて、採用することができない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(田中二郎 下村三郎 松本正雄 飯村義美)

《参考・二審判決理由(抄)》

(控訴期間の懈怠)

本件第一審判決は、昭和四十年八月三十一日午後一時三十分、東京地方裁判所において、その言渡しがあり、同日、同正本につき公示送達のため、同庁の掲示場に所定の掲示がなされ、翌九月一日送達の効力を生じたものであるが、控訴代理人は、その後二週間の控訴期間を経過した後である昭和四十一年二月二十四日、控訴状を当裁判所に提出したことは、本件訴訟記録により明らかである。

(追完期間)

そこで謝永につき控訴を妨げる事由の止んだ時期について検討すると、東京都内に在る浅沼澄次が原判決の写をサイゴン市在住の謝永に発送した前記昭和四十一年一月十九日より謝永の控訴提起の委任状が浅沼澄次に到達した前記昭和四十一年二月二十一、二日頃まではその間僅に月余に過ぎず、当時南ベトナムが戦乱中であること殊に<証拠>により推知できる昭和四十一年に入つてからサイゴン市内は物情騒然としていたこと(同号証によれば謝永は同年三月十四日射殺されたものと認められる。)等を考慮すれば、謝永が原判決写の送付を受けてこれを知つた後控訴提起の委任状を発送するまでの間にその責に帰すべき時日の遷延はなかつたものと認むべく、又これらの文書の輸送期間についても当事者の責に帰すべき遅延はなかつたものと認められるから、右委任状が弁護士浅沼澄次に到達した昭和四十一年二月二十一、二日頃に本件控訴期間不遵守の事由が止んだものというべきである。

なお<証拠>によれば、謝永は浅沼澄次に対し昭和四十一年一月三十一日付で本件土地の事件一切を委任する旨電報をしたことが認められるけれども当時すでに本訴とは別に謝永と前記森下茂等との間に紛争が起つており仮処分事件が係属していたことは前掲東京地方裁判所昭和四十一年(ヨ)第三五五号事件記録により明らであり、しかも謝永が右日時までに本件原判決の写しを入手したことを確認できる資料もないのであるから、右電報による委任が本件訴訟の控訴の委任であるとは確認し難く、又右委任が本件土地に関する事件一般についての広汎な委任であると解しても、控訴の提起は特別の授権を要する事項でその授権は書面を以て証することを要するのであるから、かような電報による一般的委任によつて浅沼澄次が原判決に対し直ちに控訴の申立ができる状態になつたものとはいえない。従つて右電報によつて控訴期間不遵守の事由が止んだことにはならない。

(控訴の追完)

以上のように、本件第一審被告謝永は、その責に帰することができない事由により控訴期間を遵守できなかつたものであるから、その事由の止んだ昭和四十一年二月二十一、二日頃から一週間内は控訴の追完をなすことができ、その期間内である同月二十四日に提起された本件控訴は適法である。

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